【箏の歴史】
筆者:木村伶香能
箏(こと)は、日本を代表する楽器の一つです。古来、日本では弦楽器の総称として「こと」という言葉が用いられていました。現在、「琴」と「箏」の二種類の漢字が用いられていますが、元来これらは異なる楽器です。世間一般に広く知られている「箏」は、奈良時代 ( 710 – 794 )に雅楽器の一つとして、中国より日本に伝えられました。平安時代 ( 794 – 1185 )には歌の伴奏楽器として用いられ、鎌倉時代(1192 – 1333)には、箏曲最古の歌曲様式である「組歌」の芽生えを見ることが出来ます。安土桃山時代(1568 – 1600)には、九州善導寺の僧侶であった賢順(1534? – 1623?)が当地にて七絃琴、箏、雅楽などを学び、箏による伴奏を伴った歌曲である筑紫流箏曲を創始しました。
江戸時代(1603 – 1868)には、八橋検校 (1614 – 1685) が、筑紫流箏曲を改定し、組歌や段物を制定し、近代箏曲の基礎を築きました。以降、箏と三味線の合奏を試み、箏の技巧を拡大した生田検校 (1656 – 1715) や、江戸で流行していた音曲を巧みに作風に取り入れ、歌本位の箏曲を生み出した山田検校 (1757 – 1817) など、優れた盲人演奏家によって、箏曲は発展してきました。明治時代(1868 – 1912)に至り、西洋音楽の影響を受けた新しい作品が数多く創られるようになりました。現代邦楽の代表的な作曲家として、宮城道雄 (1894 – 1956) 、中能島欣一 (1904 – 1984) などが挙げられます。現在は、十三絃箏に加えて、十七絃、二十絃、二十五絃、三十絃などの多絃箏も、演奏されています。このように、箏曲には、1000年以上に及ぶ長い歴史から生み出された多彩な古典作品、そして新しい息吹をもった現代作品に至るまで幅広いレパートリーが存在しています。
【楽器】
箏の本体は、桐で作られています。桐は、非常に軽い木材で、防湿効果、音響効果も高いことから、古くから箏に使用されてきました。箏の形は、龍の姿に喩えられ、各部には龍にちなんだ名称がつけられています。(龍頭、龍角、龍舌、龍甲など)この本体に13本の絃を張り、箏柱を立てて、調絃を整えます。絃は、本来絹糸が用いられていましたが、現在は、丈夫なテトロン絃が一般的に広く使用されています。絹糸は、とても温かみのある音色を持っており、近年では切れにくい絹糸の開発もされています。絃名は、楽器に相対して向こう側から「一二三四五六七八九十斗為巾」と呼びます。調絃法には、代表的な平調子や雲井調子の他、それらのヴァリエーションを含む多くの種類があります。楽譜の記譜法として、生田流では縦譜、山田流の古典作品では横譜が主に用いられていますが、記譜の基本構成はいずれも同様です。現代作品では、五線譜を使用します。
演奏の際には、右手の親指、人差し指、中指に箏爪をはめます。流派によって爪の形状が異なり、生田流では角爪を、山田流では丸爪を用います。演奏される曲目に合わせて、座奏か、あるいは立奏台を用いて椅子に座って奏する形式が一般的です。